we are here in シカゴ
まあやのライブで初めて泣いた
2日同じ曲で泣いた
泣いたからなんだと言われればそれまで
別に泣いたから今回は良かったとか、今までは泣かなかったからそんなに心に響いてなかったとか
この涙は1ミリたりともそんな意味は持たないんだけど
僕には理解ができなかった
自分がなぜ泣いたのか本当に理解不能だった
ひたすらに理解できなかった
ロックのライブで泣いたことはない
EDMとかテクノとかそういうジャンルでも泣く要素はひとつもない
ステージで歌ってても泣いたことはない
wugのファイナルは手紙では泣いたけど歌で泣くことはなかった
ライブで泣いたことが一度もないわけじゃない
マクロスのライブでMay'nと中島愛がサヨナラノツバサの完全再現セトリを披露した時は
泣いた
ひたすらに泣いた
泣きながら体を揺すって跳んでた
そう
泣いたことがないわけじゃない
でもまあやライブで泣いたことはなかった
どんなに前でライブを見ても
まあやの涙を見ても
震える声を聞いても
泣いたことはなかった
他人が今回は泣いたとかあの曲はヤバすぎて超泣いたとか言っててもひとつも理解できない
自分には当てはまらない
感覚が違う
自分は感受性に乏しいだけ
音でぶちあがることしかできない
人によっては冷たい人と思う人もいるかもしれない
冷たい人なのかもしれない
そう思って生きてきた
最悪を想定していればそれより最悪は訪れないからそうしてた
感覚が違うのは事実だし僕だけに当てはまることではないから問題ではないのだけども
僕が冷たかろうがそれも問題ではない
関係ない
脱線はやめよう
今の問題は自分がなぜ泣いたのか
この不思議の意味が知りたいそれだけなんだ
なぜシカゴで泣いたのか
Gifとかキミ行きとかもっと好きな曲はあるのに
なぜシカゴだったのか
多分歌詞なんだと思う
シカゴの歌詞がこのブログのちょっと上に書いたような僕の内面の悲観的な部分をひたすらに肯定して許してくれて
居場所を感じさせてくれた
だから泣いたんだろうな
嬉しくてありがたくて泣いたんだろうな
僕は気持ちを表現するのが苦手
文字にするのも苦手だし言葉で伝えるのも苦手
でも自分の言葉は自分の気持ちに照らし合わせて必ず理解できる
だからここに残す
こんな気持ち僕にしかわからないだろうし
誰かにわかって欲しい訳でもない
その時々の現在地をここに残すことで
他の誰でもない未来の僕がこれを観測して、過去の現在地を辿って、今の現在地を再確認できるように
ここに現在地を標す