性から森羅万象

僕の性は男、性自認もまあおそらく男です。

  

現状、ジェンダーレス論争にはあまり興味がないです。

  

一見ものいい入りそうな発言ですが、まあいったん保留で最後まで。

  

僕は○○だからという固定観念があまり好きではないし、最近は固定観念恐怖症かってくらい執拗に毛嫌いしてる。のかもしれない。客観的には自分を見ることは難しいので。かもしれない。にとどまる。

  

だから男だから女だから、その他○○だから。そんな考えはまあなくていいと思ってる。

  

でもたぶんある。誰にでもあって、僕にもある。だから今のところ少々意識的にやるしかない。

  

僕でいうと髪は長いし口から下は脱毛してーなーとかぼんやり思ってたりロングスカート欲しいなーとか思ってたりまあいろいろなこと思っていてもちろんその中で実行してることとしてないことがある。

  

これは多分すごく当たり前のことで。わざわざここで言うことではないのかもしれない。誰だってやりたいこととやりたくないことと、できること、できないことがある。

  

だからやりたいことをやりたい人ができるのが一番いいと思ってる。やるもやらぬも自由。ジェンダーレスを越えてその先。越えつつ内包したその先のジェンダー格差に限らず、限りなくこの世に事実として存在するもの以外の全ての格差は無い方がいい。

 

平等に成功をあたえるわけじゃない。機会をあたえる。または機会を搾取しない。やりたいことやったうえで上手くいくかは本人次第。

  

この世に事実として存在する格差とは体の性における男女の身体能力的なものだったりもっと広くいえば鳥の中には空を飛べるものもいて飛べないものもいて、僕は今のところ空が飛べない。みたいなこと。

  

でも男の人が全ての女の人より身体能力が高いわけじゃないし結局傾向があるってだけ。男、女、基本的にその2つの中で生きていた僕が、LGBTQに関心を持ちいろいろ調べ体験したなかで感じたことは、

  

結局僕は性別よりも詳細に区分されたそのグルーブ全体の性質のようなものでしか理解しようとしていなかったということ。結局個人個人みんな違っていて、思いや感じ方、考え方は同じではない。男ってやつは〜、女のくせに〜、とかと同じで、レズの人はこう。ゲイの人はこう。という感覚で理解しづらいものを性質として捉えようとしてしまっていた部分があったのかなと。

  

これは僕が昔から嫌っていたはずの事だった。動物の生態は確かに存在するだろうが、動物番組などで種族で一律にこうですとしてしまうのに違和感があった。ワンちゃんとかに勝手に感情表現のテキストを貼っつけるテロップもなんか好きじゃなかった。

僕がやっていたのは少なからずこれだったのかもしれない。

  

とまあこんなことを経て、なにかとグループ分けしてラベリングして、マクロ的にこういうものだとしてしまうのは問題が生じるというかやっぱりミクロで見るとそれぞれ誤差が生じるよねっていう話でした。