虫単
視覚と聴覚に頼りきった生活の合間に散歩をするのはとてもいい
視えるものと聴こえる音に加えて
気流、気温、湿度、空気の温かさ、太陽の温かさ、夏の雨のにおい、何とは言えない冬のにおい
普段あまり使わない感覚を使って歩く
味覚は難しい
難しいからもう味覚だけを満たすために飯を変えるわけで
幼児くらいまではなんでも触るし口に入れる
触覚で世界と触れ合ってる
ただ
見えてるものが何者か何物かわかってしまう判断してしまう今となっては
触るまでもないと何も触らない
これは言葉のせいとは言わないけどお前のせいでもある気がする
犬猫さんは鼻で探るところをよく見かけるし
結局口で感じてもみてる
口で蝉を咥え捕らえてみせたあの友人はそこらの誰よりも蝉を知っている気がする
蝉の形や動き、味を口の中で知っている
ペンフィールドのホムンクルスを見ると口は手ほどに敏感に精密にいろんなものを感じ取れるらしい
https://yasuragi-hari.com/?p=2022
人が隔てなく五感に返るのは性交時くらいじゃないかと思う
なんであんな不格好というか不自由というか不便というか
そんな感じなんだろうとは常々思う
ただその不格好さが五感総動員を強要するのかもしれない
どんなに情報化されても変わらずある身体機能によって五感に返るタイミングが守られているのならば
口で蝉を捕まえる必要がないように性交があるのかもしれない
体性感覚野のホムンクルスの珍棒もまあでかい
カゲロウやトンボの交尾がとんでもない体勢に思えるのもあの体躯でケツで交尾しなきゃいけないからで
たいていの交尾はケツ側でするようになってるからあんなみんな大変そうな気がする
まあこれも全部五感総動員のためと
少なくともヒトにおいてはそういうことにしたほうがなんかいい
結局は
口で蝉を捕まえないでいいために五感を総動員するのだ
おわり
2023-02-12 07:34:39