虫単

視覚と聴覚に頼りきった生活の合間に散歩をするのはとてもいい

 

 

 

 

視えるものと聴こえる音に加えて

 

気流、気温、湿度、空気の温かさ、太陽の温かさ、夏の雨のにおい、何とは言えない冬のにおい

 

普段あまり使わない感覚を使って歩く

 

 

 

 

 

味覚は難しい

 

 

 

難しいからもう味覚だけを満たすために飯を変えるわけで

 

 

 

幼児くらいまではなんでも触るし口に入れる

触覚で世界と触れ合ってる

 

 

 

ただ

 

 

 

見えてるものが何者か何物かわかってしまう判断してしまう今となっては

触るまでもないと何も触らない

これは言葉のせいとは言わないけどお前のせいでもある気がする

 

犬猫さんは鼻で探るところをよく見かけるし

結局口で感じてもみてる

 

 

 

 

口で蝉を咥え捕らえてみせたあの友人はそこらの誰よりも蝉を知っている気がする

蝉の形や動き、味を口の中で知っている

 

 

 

ペンフィールドホムンクルスを見ると口は手ほどに敏感に精密にいろんなものを感じ取れるらしい

https://yasuragi-hari.com/?p=2022

https://yasuragi-hari.com/wp-content/uploads/2014/07/homunnkurusu.jpg

 

人が隔てなく五感に返るのは性交時くらいじゃないかと思う

 

 

なんであんな不格好というか不自由というか不便というか

そんな感じなんだろうとは常々思う

 

ただその不格好さが五感総動員を強要するのかもしれない

 

どんなに情報化されても変わらずある身体機能によって五感に返るタイミングが守られているのならば

 

 

口で蝉を捕まえる必要がないように性交があるのかもしれない

 

 

体性感覚野のホムンクルスの珍棒もまあでかい

 

 

 

カゲロウやトンボの交尾がとんでもない体勢に思えるのもあの体躯でケツで交尾しなきゃいけないからで

 

 

たいていの交尾はケツ側でするようになってるからあんなみんな大変そうな気がする

 

 

 

 

まあこれも全部五感総動員のためと

 

少なくともヒトにおいてはそういうことにしたほうがなんかいい

 

 

 

結局は

 

 

 

口で蝉を捕まえないでいいために五感を総動員するのだ

 

 

 

 

おわり

2023-02-12 07:34:39